石坐神社(滋賀県大津市)

石坐神社(滋賀県大津市)
住所 〒520-0818 滋賀県大津市西の庄15 石坐神社

石坐神社(滋賀県大津市)完全ガイド|八大龍王を祀る式内社の歴史と文化財

滋賀県大津市西の庄に鎮座する石坐神社(いわいじんじゃ)は、千三百年以上の歴史を持つ由緒ある式内社です。京阪石山坂本線錦駅から徒歩わずか数分の住宅街に佇むこの神社は、鎌倉時代の本殿や平安時代の神像など貴重な文化財を有し、八大龍王を祀る水神信仰の聖地として今も多くの参拝者を集めています。

石坐神社の概要と基本情報

石坐神社は、延喜式神名帳に記載される式内社であり、旧社格は村社に位置づけられます。琵琶湖大橋西詰の北西約500メートル、滋賀大学教育学部附属小学校の東側に位置し、静かな住宅街の中に歴史の重みを感じさせる社殿が佇んでいます。

所在地: 滋賀県大津市西の庄15番16号
旧社格: 村社
社格: 式内社
主祭神: 彦坐王、天智天皇、伊賀采女宅子媛命、弘文天皇(大友皇子)、豊玉比古命、海津見神

石坐神社の祭神とその由緒

石坐神社には六柱の神々が祀られており、それぞれが深い歴史的背景を持っています。

彦坐王(ひこいますおう)

主祭神である彦坐王は、第九代開化天皇の皇子であり、近江国との深い関わりを持つ皇族です。社伝によれば、瀬田に設けられた近江国府の初代国造・治田連が、その四代前の祖先にあたる彦坐王を茶臼山に葬り、その背後にそびえる御霊殿山を神体山として祀ったことが当社の創祀とされています。彦坐王は古代近江の開拓に功績があったとされ、地域の守護神として崇敬されてきました。

天智天皇と伊賀采女宅子媛命

天智天皇は、大化の改新を断行し、近江大津宮を造営した天皇として知られています。伊賀采女宅子媛命(いがうねめやかこひめのみこと)は天智天皇の妃の一人であり、次に述べる弘文天皇の母にあたります。天智天皇が近江を治めた歴史的背景から、当社に祀られることとなりました。

弘文天皇(大友皇子)

弘文天皇は天智天皇と伊賀采女宅子媛命の子である大友皇子のことで、壬申の乱で敗れた悲劇の皇子です。近江朝廷の皇太子として期待されながらも、天武天皇との皇位継承争いに敗れ、大津の地で自害したとされています。その霊を慰めるため、当社に合祀されたと考えられています。

豊玉比古命と海津見神

豊玉比古命(とよたまひこのみこと)と海津見神(わたつみのかみ)は、いずれも海の神、水の神として知られる神々です。当社が八大龍王宮としても知られるように、水神信仰の中心的存在として祀られています。相模川(現在の大津市を流れる川)の上流で水神として祀られていたものが、後に当社に遷されたとの伝承もあります。

石坐神社の歴史

創建と古代の歴史

石坐神社の創建年代は不詳ですが、社伝や社家古伝によると、その起源は古代にさかのぼります。近江国府が瀬田に置かれた時代、初代国造である治田連が祖先の彦坐王を祀ったことに始まるとされています。

朱鳥元年(686年)には、尊良法師が一条院尊良粟津郷王の林の広庭に遷座して社殿を建立したという記録が残されています。これは飛鳥時代末期にあたり、すでに当社が重要な信仰の場として確立していたことを示しています。

奈良・平安時代の隆盛

光仁天皇の宝亀4年(773年)、石坐神社に正一位勲一等が授けられ、「鎮護国家の神社なり」との勅語を賜りました。これは当社が国家的に重要な神社として認識されていたことを物語っています。正一位という最高位の神階を授けられたことは、朝廷からの深い崇敬を受けていた証です。

延喜式神名帳(927年編纂)には「近江国滋賀郡 石坐神社」として記載されており、式内社としての格式を確立していました。

天智天皇と八大龍王信仰

社伝によれば、今から千三百有余年の昔、神託により天智天皇が勅使を遣わして、神代より鎮まり給う御霊殿山の天津磐座に八大龍王神・海神豊玉比古神(石坐大神)を御鎮斎されました。八大龍王神は八柱の高貴な龍神であり、福寿厄除の御神徳があるとされています。

この八大龍王信仰は、仏教の龍王信仰と日本古来の水神信仰が習合したもので、中世以降も広く信仰を集めました。

中世から近世へ

鎌倉時代の文永3年(1266年)には現在の本殿が造営されました。この本殿は三間社流造の様式を持ち、鎌倉時代の神社建築の特徴をよく残す貴重な建造物として、昭和32年(1957年)に滋賀県指定有形文化財に指定されています。

中世から近世にかけては、近江国の有力な神社として地域の信仰を集め続けました。戦国時代の混乱期にも社殿が維持され、江戸時代には村社として地域社会の中心的役割を果たしました。

近代以降

明治時代の神仏分離令により、仏教色が排除され、神社としての性格が明確化されました。明治の社格制度では村社に列格し、地域の守り神として現在に至っています。

戦後、文化財保護法の制定により、所蔵する神像や本殿が正式に文化財指定を受け、その歴史的価値が改めて認識されることとなりました。

石坐神社の文化財

石坐神社は、平安時代から鎌倉時代にかけての貴重な文化財を多数所蔵しています。

重要文化財指定の神像

当社が所蔵する四体の神像は、国の重要文化財に指定されています。

木造彦坐王坐像: 平安時代後期の作とされ、主祭神である彦坐王を表現した神像です。穏やかな表情と丁寧な彫刻技法が特徴で、平安時代の神像彫刻の優品として評価されています。

木造天命開別命坐像: 天智天皇を神格化した天命開別命(あめみことひらかすわけのみこと)の神像で、平安時代の作です。天皇の威厳を表現した堂々とした姿が印象的です。

木造弘文天皇坐像: 鎌倉時代の作とされる弘文天皇(大友皇子)の神像です。悲劇の皇子の面影を残す繊細な造形が特徴です。

木造伊賀采女宅子媛命坐像: 鎌倉時代の作で、女性神像として優美な表現が施されています。

これらの神像は通常は非公開ですが、文化財としての価値は極めて高く、平安・鎌倉時代の神像彫刻を研究する上で重要な資料となっています。

滋賀県指定有形文化財の本殿

文永3年(1266年)に建造された本殿は、三間社流造(さんげんしゃながれづくり)という様式で、鎌倉時代の神社建築の特徴をよく残しています。

本殿の屋根は優美な曲線を描き、正面から見た時のシルエットは神社建築の美しさを象徴しています。柱や梁などの構造材には当時の建築技術が凝縮されており、建築史的にも貴重な遺構です。

昭和32年(1957年)に滋賀県指定有形文化財に指定され、定期的な修復が行われながら大切に保存されています。

境内の見どころ

本殿と拝殿

鳥居をくぐると、正面に拝殿、その奥に県指定文化財の本殿が配置されています。本殿は覆屋で保護されており、その屋根のカーブは鎌倉時代の建築美を今に伝えています。

八大龍王宮

境内には八大龍王を祀る社があり、水神信仰の中心地としての性格を示しています。龍神信仰は雨乞いや水難除けの信仰として古くから庶民に親しまれてきました。

弁財天社と稲荷社

本殿の奥には、弁財天と稲荷神を祀る摂社があります。弁財天は水の神、芸能の神として、稲荷神は五穀豊穣、商売繁盛の神として信仰されています。

御霊殿山と神体山信仰

石坐神社の背後にそびえる御霊殿山は、古来より神体山として崇められてきました。山そのものを神の宿る聖域とする神体山信仰は、日本の原初的な信仰形態の一つであり、当社の起源を物語る重要な要素です。

茶臼山と彦坐王の墓所

社伝によれば、彦坐王は茶臼山に葬られたとされています。この茶臼山は御霊殿山の一部とも考えられ、古代の墳墓が存在していた可能性も指摘されています。

石坐神社の御神徳と信仰

福寿厄除の神

八大龍王神を祀ることから、福寿厄除の御神徳があるとされています。人生の節目や厄年の参拝者が多く訪れます。

水の神としての信仰

豊玉比古命や海津見神など水神を祀ることから、雨乞い、水難除け、農業の豊作祈願などの信仰を集めてきました。琵琶湖に近い立地も、水神信仰と深く結びついています。

鎮護国家の神

宝亀4年に「鎮護国家の神社」との勅語を賜ったことから、国家安泰、地域の平和を祈る神社としても崇敬されています。

皇室ゆかりの神社

天智天皇、弘文天皇、彦坐王など皇室に連なる神々を祀ることから、皇室の安泰を祈る信仰もあります。

年中行事と祭礼

石坐神社では、年間を通じてさまざまな祭礼が執り行われています。

春には例祭が行われ、地域の人々が集まり神輿の渡御や神楽の奉納が行われます。秋の収穫祭では、五穀豊穣に感謝する神事が執り行われます。

正月には初詣の参拝者で賑わい、新年の無病息災や家内安全を祈願する人々が訪れます。節分祭では厄除けの祈祷が行われ、多くの厄年の参拝者が訪れます。

交通アクセス

電車でのアクセス

京阪石山坂本線: 錦駅下車、北へ徒歩約3分
JR東海道本線: 膳所駅下車、東へ徒歩約7分
JR湖西線: 大津京駅下車、南東へ徒歩約15分

最も便利なアクセス方法は京阪石山坂本線の錦駅からで、駅から住宅街を抜けて数分で到着します。滋賀大学教育学部附属小学校を目印にすると分かりやすいでしょう。

車でのアクセス

琵琶湖大橋西詰から北西へ約500メートル。名神高速道路大津ICから約15分。境内に駐車スペースがありますが、台数に限りがあるため、公共交通機関の利用をおすすめします。

周辺の観光スポット

びわ湖大津プリンスホテル

石坐神社から南へ約1キロメートルの場所にある高層ホテル。琵琶湖の眺望が素晴らしく、観光の拠点として人気です。

近江神宮

天智天皇を祀る近江神宮は、石坐神社から北へ約3キロメートル。天智天皇ゆかりの神社として合わせて参拝するのもおすすめです。

三井寺(園城寺)

天台寺門宗の総本山である三井寺は、石坐神社から北東へ約2キロメートル。国宝や重要文化財を多数所蔵する古刹です。

琵琶湖疏水

明治時代に建設された琵琶湖疏水は、近代土木遺産として価値が高く、周辺は散策路として整備されています。

参拝のポイントと注意事項

参拝時間

境内は基本的に自由に参拝できますが、社務所の対応時間は限られています。御朱印を希望する場合は、事前に確認することをおすすめします。

服装と マナー

神社参拝にふさわしい服装で訪れましょう。本殿は文化財であるため、写真撮影は許可された範囲で行い、神像などは通常非公開です。

静かな住宅街の中

石坐神社は住宅街の中にあるため、参拝時は近隣住民への配慮を忘れずに。大声での会話や騒音は控えましょう。

石坐神社の魅力

石坐神社は、派手さはないものの、千年以上の歴史を静かに語る古社です。鎌倉時代の本殿、平安時代の神像という貴重な文化財を有しながら、住宅街の中にひっそりと佇むその姿は、まさに「隠れた名社」と呼ぶにふさわしいでしょう。

彦坐王、天智天皇、弘文天皇という古代近江の歴史を物語る神々を祀り、八大龍王という水神信仰の伝統を今に伝える石坐神社。琵琶湖観光の際には、ぜひ足を運んでいただきたい神社の一つです。

近江国府が置かれた瀬田の地、天智天皇が都を置いた大津の地。この歴史深い土地に鎮座する石坐神社は、古代から連綿と続く日本の歴史と信仰を体感できる貴重な場所なのです。

まとめ

石坐神社は、滋賀県大津市に鎮座する式内社で、彦坐王や天智天皇、弘文天皇を祀る歴史ある神社です。鎌倉時代の本殿は県指定文化財、平安・鎌倉時代の神像四体は国の重要文化財に指定されています。

八大龍王宮としても知られ、水神信仰の聖地として福寿厄除の御神徳があるとされています。京阪錦駅から徒歩3分という好立地ながら、静かな住宅街の中にあり、落ち着いた雰囲気で参拝できます。

古代近江の歴史、天智天皇の時代、壬申の乱の悲劇、そして神体山信仰や水神信仰という日本古来の信仰形態。これらすべてが凝縮された石坐神社は、滋賀県を訪れた際にはぜひ参拝したい神社です。

地図

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